“いのりの折り鶴”の製作にあたって

 の父方の祖母、母方の祖父、そして母方の曾祖母は、1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾により被爆しました。

 

私が初めて家族の被爆を知ったのは、小学生の時でした。

祖母の腕に無数にある傷を見つけ「これ何?」と聞いたところ、「原爆の時、家のガラスが割れて刺さったと。」そう話してくれました。父方の祖母は、長与町高田郷で旅館を経営しており、そこで被爆しました。腕の傷について訊ねたときの祖母は、私の顔を見ることなく早口で、話を終わらせてしまいました。私はおばあちゃん子で、祖母は私にとって、何でも教えてくれる優しい人でした。

ですが、その時は違っていました。私は子供心に「これ以上聞いてはいけない。」そう感じ、それ以上のことを聞くことは出来ませんでした。その後、両親から原爆投下の日の夜、浦上方面から線路伝いに避難して来られた方を、旅館で休養させていたことを知り、中には重傷の方もいたことも知りました。

 

母方の祖父については、当時の西彼杵郡茂木町(現長崎市茂木地区)に住んでおり、原爆投下数日後、松山付近に住む曾祖母を探すため訪れたことで、入市被爆をしました。その際、遺体が安置されている場所を訪れ、莚をかぶせて安置されている遺体を、1体1体確認していったそうですが、曾祖母を見つけることは出来なったそうです。その話を聞き、「自分の親がこの場所にいるかもしれない。でも、見つけることが出来なかった」そんな祖父のことを思うと、どの様な思いで帰路についたのだろうと、今でもその話を思い出すと胸を掴まれる思いがします。

 

私自身、この様な家族の話を聞いた頃から“平和活動”への関心を持ち始めました。

ですが、私自身も先天性二分脊椎症という障害で足が不自由な為、思うように行動に示すことが出来ませんでした。しかし、自分なりに何か平和への思いを伝える活動が出来ないかと模索した結果、仕事として15年続けているアクセサリー作りで思いを

示すことが出来るのでは?と思い、この“折り鶴”のアクセサリーの製作販売し、売り上げの一部を被爆者の皆様や平和活動をされている方々へ寄付し、それを何かに役立ててもらえたらと思い、活動を始めました。

 

近年、被爆者や語り部の高齢化で「あの日」のことを伝えて下さる方が少なくなっています。その中で、私なりに被爆者を家族に持つ長崎の人間として、小さい活動でも「平和の大切さ」「命の尊さ」を、少しでも伝えられればと1羽1羽、これからも心を込めて作っていきたいと思っています。

 

 

ビーズアクセサリーショップ「夢」 

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